番匠 山城守Ⅱ ★Banjoh Yamashironokami Ⅱ☆

お城好き、神社仏閣好きのブログです。現在、中国の昆山に赴任中。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

おあむの松

美濃大垣城の天守横にある一本松。
世に言う「おあむの松」です。

横にある説明文によると、
関ヶ原合戦の時、おあむは父山田玄暦らと西軍三成勢に属し、大垣城に籠もっていた。
落城不安が募るある日、東軍から矢文が届き、「玄暦は家康様手習い師匠であったので逃がす」と伝えた。
おあむは父母と西堀端の松から堀のたらい船に乗り移り西岸に上陸。無事に逃れた。
その後その松を誰言うことなく「おあむの松」と愛称した。
昭和の大戦直前に枯れたが植え継ぎ青年の樹とし、「二代おあむの松」と命名した。
とあります。



おあむの松と言えば、おあん物語 が有名。
無事大垣城から逃れたおあむが老年になって近所の子供達に語って聞かせた若い頃の体験談をまとめたもの。
大垣城籠城の際には城内でほかの女性達と鉄砲玉を作ったり、味方が討ち取ってきた敵の首にお歯黒を塗ったり札をつけたりして後の首実検用に並べたりしたといいます。
おあむに限らず当時の城詰めの女性たちは合戦時には当たり前の任務だったと聞いた事があります。
なんとも凄い時代ですねぇ。




もう一つ、大垣城の天守石垣にはちょうど目線辺りの位置に水平の線が引かれています。
これは明治29年の7月19日~22日にかけて降水量378ミリという大水害に見舞われて揖斐川が決壊し、復旧中の9月6日には台風の襲来で再び大風水害となった。
その時に浸水した高さがこの線。
このお城は政治に、自然にと度々悲劇に見舞われたお城なんですね。
s-_MG_0376.jpg




よろしければ いやいや 是非とも応援ポチリ! お願いします。

にほんブログ村 歴史ブログ 城・宮殿へ
にほんブログ村

人気ブログランキングへ




ありがとうございまーす!



関連記事
スポンサーサイト

Comment

Post Comment

(設定しておくと後でPC版から編集できます)
非公開コメント

Trackback


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。