番匠 山城守Ⅱ ★Banjoh Yamashironokami Ⅱ☆

お城好き、神社仏閣好きのブログです。現在、中国の昆山に赴任中。

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人吉城~本丸跡から御下門跡へ

人吉城の本丸跡から御下門を通って下段の曲輪跡へ向かいます。


この曲がりくねった道をおりていきます。
足下が濡れているので気をつけないと……。
s-20130602-人吉城0096


御下門横の石垣です。
綺麗な勾配ですね。
s-20130602-人吉城0100


御下門は下の御門とも呼ばれ、城の中心である本丸、二の丸、三の丸への唯一の登城口にあった門。
櫓門形式で、両側の石垣上に梁閒2間半(5m)、桁行10間(20m)の櫓を渡し、その中央下方の3間分を門としていた。
門を入った奥には出入り監視用の門番所があった。(案内板より)
s-20130602-人吉城0104


門を出て球磨川沿いに歩いて行くと、谷口舟渡という所に行き着きます。
谷口舟渡は、主に対岸の商人町、侍町との交通に利用され、往来監視の為、舟番所も置かれていたとか。
川岸までおりて球磨川を望むの図。
s-20130602-人吉城0120



更にすすんで、ちょうど本丸の裏手辺りにある地蔵院跡。
特に遺溝らしい物は見当たらず、ただの広場状態です。
多分、あっても見つけられなかったでしょう。
s-20130602-人吉城0129


その地蔵院の傍らに建っている「断髪記念供養塔」
断髪って、もしや郷土出身のお相撲さんがここで断髪式でもやったのかと思ったりしたけど、んなわけない。
どうやら明治になってちょんまげを切った断髪令を記念したものとか。
ただ、なぜそれがここに? というモヤモヤしたものが残りますが。
s-20130602-人吉城0130


来た道を後戻りして御下門の前を通り過ぎると、堀合門という門に辿り着きます。
城主の御館の北側にあってこの門をくぐるとすぐ御館。
えらい近すぎるやんという感じ。
s-20130602-人吉城0141



この巨石は左近の石という名前。
写真では実感がわかないかも知れませんが、2mはゆうに超える大きさ。
31トンもあるそうで、もとは球磨川の中にあったらしいが、昭和43年の河川改修工事で城内に移動した。
なんでも、慶長12年に中州の中川原を挟んで球磨川唯一の橋である大俣橋、小俣橋が架けられた。
しかし、中州を橋台としていたために増水で橋が壊れる事が多く、人吉藩家老の村上左近の進言によって中州の上流部の先端に大岩を多数沈めて中州が流出しないようにしたということです。
案内板そのままですが……。
s-20130602-人吉城0143



左近の石の隣にあるのが水の手門跡。
りっぱな門が建ってた事が想像できます。
球磨川の水運を利用してこの門から米が城内に運び込まれていたそう。
門の内側には船倉や間米倉という年貢米を保管する蔵があったそう。
s-20130602-人吉城0145


上部に武者返しと呼ばれる張り出しを設けた石垣。
説明によると、最初からこの武者返しがあったわけではなく、文久2年の寅助火事で焼失した際、櫓を再建する代わりに石垣を高くしてその上端に突出部をつけたのがこの武者返しというもの。
西洋の影響を受けた五稜郭などでは知られてますが、旧来の城郭で採用されたのはこの人吉城だけだと。
s-20130602-人吉城0157

このあと、多門櫓とか、大手門櫓跡、さらに井戸のある地下室を持つ武家屋敷とか、まだまだ見所たっぷりです。


ここまで見ていただいて有り難うございました。
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